体操・気功・マッサージ

 野口体操の野口三千三先生は「体操は自分でするマッサージ、マッサージは人にしてもらう体操」と仰っていたそうですが、最近、気功についてこの言葉を思い出すことがあります。
 自分の「気」についての考えは、「気について」という記事でちょっと書き、最近矢山利彦先生のDVD『矢山式気功法 小周天』についても触れました
 そこでも書いていますが、わたしは神秘的な宇宙のエネルギーがどうとかいったことは、あまり興味がありません。世の中広いですから、もしかするとそういうこともあるのかも分かりませんが、別にそんな大げさに考えないでも十分理解可能だと思いますし、胡散臭いので良いイメージはありません。
 そもそも、自分にとっての気功は、武術の訓練の一環としての意味が第一で、一般的な健康法という意味は二次的で(といっても養生は武術の基礎で無視できませんが)、まして宇宙がどうとかいったことはどうでもいいです。
 武術や武道・格闘技を学ぶ人の多くにとって、気功なんて丸ごと怪しげで、別にやらないでも強くなれるし、眼中にもないことでしょう。わたし自身にとっても、一番大事なことではありません。ただ、立禅に取り組むうちに気功的要素についても関わらざるを得なくなってきた、というくらいです。
 この時、気功の「気」が最初に来ると、どうしても大げさで神秘的なイメージが先立ってしまいます。禅を組んでいれば気感というもの自体は極普通のもので、ちょっと練習すれば誰にでも分かる筈のもの、ということは共通理解としてあるかと思いますが、「気」自体を取り出して概念化する、というのは、違う話です。また、禅を組んでいない方なら、特別センスのある方でない限り、気感すら怪しげに見えるでしょう。
 そうした場合、気功の「気」は一旦横においておいて、「体操」だと思ったら良い、と考えています。
 「気」の感覚というのは確かにありますが、「気」そのものが大事というより、「気」を通じて骨を動かしている感じです(実際に生理学的に何が起こっているのかは分かりません)。そもそも、気功の基本功などまるっきり「体操」です。
 そして「体操」というのは、一般的にはラジオ体操やらお年寄りがやる健康体操のようなイメージがありますが、実は大変に奥深いもので、物凄い可能性を秘めているものでしょう。
 分かりやすいのは胴体力ですが、野口体操やヨガなども、そもそも「すごい体操」です。
 とりわけ現代格闘技に取り組んでおられる方は、突き蹴りなどのより「実戦的」な練習やパワートレーニングを重視し、体操の力など関心がないかも分かりません。実際、即効性のある練習ではありませんが、ある程度やって壁にあたった時などに、体操はとても役に立つと思います。
 この時気をつけなければいけないのは、「すごい体操」の動きが一見簡単そうに見えて、「こんなもの年寄りにでもできる」と思えたとしても、侮ってはいけない、ということです。侮るな、というのは、出来ていると思ってはだめ、ということです。実際、多くの人ができていないのです。
 胴体力の体操も、見た目は簡単そうですが(簡単そうではないものもありますが)、実は物凄い難しいです。
 伊藤昇先生は著書の中で「前屈は肘がついて正常」と書かれていますが、多くの人は「異常」です。体操もそれくらい多くの人が出来ていません。わたし自身も、まだまだ「異常」です。
 気功もそうした「すごい体操」だと思って取り組むと、変に宇宙のエネルギーとかいうより、ずっと分かりやすいのではないかと思います。文字通りの体操的訓練から、小周天を回す、等になると、さすがに気感なしでは無理です。これは丁度「前屈は肘がついて正常」のような目に見える指標になっていると捉えたら良いかと思います。
 こうした「すごい体操」に取り組んでいると、「体操は自分でするマッサージ、マッサージは人にしてもらう体操」という言葉がつくづく身に沁みます。気感を使った訓練は、本当に体を内側からマッサージするような感じです。腕のない人が背中が痒くなった時に、内側から「手」を伸ばして背中にアプローチするようなイメージです(実際にどうしているのかは分かりません)。
 ちなみに太氣拳の練にも、似た要素があるかと思います。練は到底そこに還元できるものではありませんが、「すごい体操」的要素が多分にあります。某先生は、入門者に対し練をよく練習することを要求するそうですが、これにはスワイショウ的意味もあるのではないかと思います(それだけではないでしょうが)。
 わたし自身、大昔に武道・格闘技を学び始めた頃、スワイショウのような練習をやらされた記憶があります。ただその頃は意味も分からず、「はやくミット打ちにならないかな」などと不遜なことを考えていました。筋トレと基本、ミット打ちなどをやって、あとは組手をしていれば良いような考え方でした。若造に理解せよというのも無理があるかもしれません。実際、若いうちはものを打ったり激しく動いたりする練習も多いにやったら良いと思いますし、そうした稽古も当然ながらとても重要でしょう。
 ただ、長く続けようとすると、それだけではどうしても壁にあたり、やがて「すごい体操」的なものとよくよく向き合わなければならない時が来るかと考えています。