バイジョン・スタンスと半禅

 ジークンドーと太気拳・意拳。およそ正反対にも見える武術ですが、所詮手二本脚二本の身体を操作することについての深い洞察から導き出されたものであれば、どんな武術であれ通底するものはあるでしょう。
 昔某所でジュンファン・グンフー(ブルース・リー流の中国武術ということで、いわゆるジークンドーと言って連想されるもの)の基礎を教えて下さっていたのが、中国武術出身の方でした。
 西洋っぽい感じの軽い動きをする練習生が多い中、その先生は腰が低く粘りがあり、かつ凄まじい瞬発力で、明らかに格・質が違いました。この先生の教え方は抽象度が高く、練習生がよく理解できずに戸惑っていることもままありました。
 わたしも中国武術出身ということで、よく教えを頂戴していたのですが、ある時バイジョン・スタンス(ジュンファン・グンフーの構え)について、こんなことを話されました。
 元々詠春拳の後ろ重心の構えだったブルース・リー師祖が、試行錯誤を経て、前重心のバイジョン・スタンスを採用した。その変化の過程はこうだ。そう言って、後ろ重心から前重心へと、ググッと前の壁を圧縮するように姿勢を動かしました。
 その場に居合わせた初級の練習生たちは、ほとんど意図を汲めていなかったと思います。わたし自身も、その場では正直よく分かっていませんでした。
 バイジョン・スタンスは、短距離のスタートのようなもの、とよく言われます。その象徴が、踵を浮かせた後足です。これが陸上のスタートのようなダッシュ力を生むのだ、と。
 それは間違っていないのですが、単純に後足で地面を蹴って飛び込もうとすると、身体が浮いてしまいます。ブルース・リー師祖の動きはそうではありません。
 ここで話が飛ぶのですが、太気拳の天野敏先生が『太気拳の扉』紹介記事)でこんな内容を書かれています。

 半禅の体重配分は6:4または7:3だが、初めてやらせると大抵の者が9:1くらいに立ってしまう。なぜか。その方が安定するからだ。人は安定を好む。だが、武術はいつでも動ける準備状態を整えておかなければならない。

 つまり半禅は、身体が意識より前に出ようとしている姿勢であり、ある意味「不安定状態」なのです。半禅とか丁八歩というと、形からして待ちの構えのように考えてしまいます。しかしそうではないのです。半禅は「構え」ではなく、今まさに前へと打ち出そうとしているもので、その「動」が「静」の中に体現されているのです。
 ここでバイジョン・スタンスに戻ると、多くの人は、「ブルース・リーは初期の後ろ重心から前重心へと構えを変えた」と考えます。それは間違っていません。しかし重要なのは、構えの静的な外見ではなく、その変化に内在する動的要素です。
 件の先生が構えの変化を演じて見せた時、本当に何かが前膝で圧縮されているように見えました。その「動」が「静」の中に体現されたものが、前重心と言われるバイジョン・スタンスなのです(とわたしは考えます)。
 ですから、確かに後足で地面を蹴るのですが、そこに意識を置くより、丁度半禅のように、前膝前の丸太を粉砕して発射される、と考えた方が良い筈です。地面を蹴るのは結果です。
 蹴りに注目すると、どうしても「飛び込む」動きになり、身体が浮き、当たるも八卦当たらぬも八卦、という戦い方になってしまいます。それがブルース・リー師祖の理想とされたものとは思えません。
 このバネ、圧縮、身体の先んじる感じがないまま、ただ前重心にしても、ただ単に見た目がボクシング的で、前足の自由度が少ない構えでしかありません。
 変な言い方ですが、ブルース・リー師祖はかつての後重心の構えから、「構えなくなった」のではないでしょうか。つまり、バイジョン・スタンスというのは、確かに「構え」なのですが、それは「待ち構え」ているのではなく、既に「動作の途中」なのです。
 このような変更が何を目的とするものなのか、わたしなどにはすべてを推し量ることなど到底不可能ですが、一つの要因は、ジー(截、Jeet)を可能にする為だったのではないでしょうか。Jeetは、それこそ太氣拳のように、相手の動作の始まりで制することができなければ意味を為しません(これは多くの武術で理想として掲げられていることですが)。それを実現するには、「身体に任せる」べく、動き始めにトルクを必要としない不安定態で構える必要があったのではないか、と推測します。
 ちなみにこの視点は、弓歩(前屈立ち)の意味にも通じると思われます。倉本成春先生が「前屈立ちは単に重心が前にあることではない、重要なのは後ろ足(の股関節)だ」といったことをお話されていたと思いますが、原理としては通底しているかと考えています。
 以上は未熟者であるわたしが個人の勝手な推測として考えたものです。全然見当違いな可能性も大いにあります。少なくとも完全に正しいということはないでしょうし、どこかは間違っているでしょう。あるいは逆に「今更何を言っているんだ、アホか」という話かもしれません。
 それぞれの流派の方で、不愉快に思われた方があれば申し訳ございません。
 未熟者の勝手な妄言と一笑に付してやって下さい。