『空手と意拳―若き求道者達へ』廣重毅

 極真会館東京城南支部で名伯楽として知られた廣重毅先生の著書です。現在は極真館の副館長をつとめられています。
 体系だった本ではなく、廣重先生のお話をそのまままとめたような形なのですが、そのお話が非常に面白いので、まったく飽きずに読むことができ、とても示唆に富んでいます。
 後半にはQ&A形式のように、質問に答える形で具体的な技術的説明もあります。
 「空手と意拳」というタイトルですが、必ずしも意拳的練習を中心としたものではなく、広く廣重先生のお話をまとめたものです。
 また、わたしは全然知らなかったのですが、廣重先生は霊的なものが分かる方らしく、そうした側面のお話もあります。この辺は正直、にわかには信じがたい部分もあるのですが、世の中広いですし、武術家・武道家の中には時々そういう方がいらっしゃいますから、そういうものなのかもしれません。
 最後の部分で、少し「国を憂う」みたいな内容があるのですが、個人的にはここだけあまり好きではありません。仰る内容自体には割りと共感するのですが、最後にこうしてちょろっとだけ政治的な話がついてくる、という形が好きになれません。武道のお話なのだから、武道で締めて良いのではないかと思います。
 以下、面白いと思った箇所をいくつか抜き書きしてみます。
 中村日出夫先生にビール瓶斬りを見せて下さいと言って「見世物じゃない」と怒られた生徒のお話。

 ある時、見せて下さいといって怒られた生徒が、先生の用事で夏の暑いところを出かけたそうです。その生徒が帰って来て、「押忍、先生帰って来ました」と言うと、先生は「ああ、そうか、お疲れさん、じゃあサイダーを飲みなさい」と仰るんです。そうしたら、その生徒はサイダーなんか飲みたくなかったから、「いや、サイダーは飲みたくないです」と答えたら、「ああそうか、分かりました」と、それで終わりになったそうです。
 それを見ていた他の人が、「お前馬鹿だな」と、「あれはお前が見たいと言ってたから、お前が夏の暑いさなかに仕事を代わりにやって帰って来たから、そのご褒美にやってやろうと言ったのに、お前馬鹿だな」と。それで、その人が改めて見せてもらったかどうかは聞き逃しました。

 太氣拳の澤井健一先生について。

 王薌齋老師が試合しているのを脇で見ているとゆっくり歩いているように見えたそうです。ところが、立ち会ってみると素早くスッスッと動いているそうです。それを、焼けた鉄板の上に乗せたヒヨコのように動くと言っていました。打とうと思ってもスッスッと間合いを外されて打てなかったということです。
 それで、澤井先生は私達に、動くときには焼けた鉄板の上に乗せたヒヨコのようにタタタタッと動かなくてはいけないとよく話されていました。それにしても、澤井先生は、焼けた鉄板の上にヒヨコを乗せたことがあるのでしょうかね。

 数見肇選手(今は数見道場師範)について。

 数見は試合の中で、技の方向の切り替えとか力の切り替えを、瞬間的にパッと流すことがあります。例えば、いきなりパンと突きに入ったりします。
 数見は、そういう切り替えを無意識にやっているようです。試合の後で「お前がやった動きを教えてくれ」と言うと、「分かりません」と答えるんです。「こういうふうにやってるんじゃないか」と言うと、「いやー、やってないと思いますけど」と言う。それでビデオを見せて「ほら、やってるじゃないか」と言ったら、「本当だ、やってますね。いやー、どうやってやってるんですかね。分かりません」と、全く頼りにならないんです。

 良い人間関係と素直さについて。

 そういう時に、「何クソ!負けないぞ」と思える人物と、そう思えなくて駄目になっていく人物の分かれ目というのは極論すれば、意外かもしれませんが、良い人間関係があるかないかです。
 良い人間関係があればけっこう頑張れるんです。
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 基本的に、性格的に問題がなければ、その人が頑張れるか頑張れないかというのは、良い人間関係の有無によるところが大きい。
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 ですから、強くなるには、本人の努力もさることながら、人に好かれる性格というのが大事です。教える側からすれば、それは素直な性格ということになるでしょう。
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 だから、人間関係が大事だと言いましたが、その前に、根本的に素直でなければ駄目でしょう。

 この本のAmazonでのレビューに「空手にはA地点からB地点へと移動する際の歩法の練習方法がない。(意拳、太気拳にはある。)」という記述があり、どういうことだろう、と思っていたのですが、実際には以下のように書かれていました。

空手の稽古の一つの弱点が、移動する際にA地点からB地点まで一挙に進み、途中のバランスを取る細かい動きがないことです。これを補うために、私達は「這い」を稽古に取り入れています。

 ここでのA地点B地点というのは、突く前の下段払いのような状態と、突いた後の前屈立ちのような姿勢のことです。これは歩法と言えば歩法なのですが、腹を使って移動し、その間常に状態を維持する、ということかと思います。空手に本来的にそういう要素がないということはないと思うのですが、一般の練習方法だとそこに気づきにくい、ということでしょう。

4795276870空手と意拳―若き求道者達へ
広重 毅
桜の花出版 2002-11