『挙聖 澤井健一先生』佐藤嘉道

 太気拳の澤井健一先生を、お弟子さんの佐藤嘉道先生が紹介した本です。
 いきなりどうでもいいことですが、表紙が木漏れ日の緑を写したカラー写真の上に、白黒の澤井先生の写真を合成したもので、なんか怖いです。鈴木清順の映画の世界みたいで夢に見てうなされそうです。
 大分前に読んだので、このエントリを書くために引っ張りだしたのですが、読みだすと止まらない深みがあり、含蓄に富んだ言葉に満ちています。
 以下、個人的に気になった澤井先生の言葉をいくつかメモしておきます。

 鳥が枝から飛び立つ時、足で枝を蹴らなければ飛び立つことはできない。気を入れる時というのはその瞬間に似ている。
 ゆっくり下に垂らした手に身体がそっくり乗るように、呼吸を整えて気を入れる。爆発的な力を加える気分で入れなさい。
 そのためには身体の力を抜き、気分と呼吸を整えなければ集中できない。気分が大きく大地を踏まえて、自分が鳥になったように掌に気を入れるのが大切である。

 構えを見てよく質問されることであるが、これでは腹があいていて、蹴られはしないかとか、手はつき指をしないように、拳を握った方がよいのではないかといわれる。そう質問する人には、私はほかのスポーツを勧める。神経質すぎても、格技はできるものではない。特に、打ったり蹴ったり投げたりする拳法には向かない。
 所詮、人間は二本の手で身体を守らなければならない。身体の動きで攻撃を外さなければならない。それゆえにどこかはあいている。しかし、あいているから相手は攻撃できるかというと必ずしもそうではない。かえって捌かれるかもしれない。

 ただ相手が打ったり、蹴ったりするものを、両手で掴んで逆を取るというのは、本来の格闘技ではないので、そのような稽古はする必要はない。自分の拳をつかまえられるようであれば、格闘技、ましてや空手などは諦めた方がよい。
 ただ、人間は相手に組みつかれるという場合がないとは限らないのである。たとえば、ラグビーのように何かの折に腰にタックルされる場合もあり得るということである。その時、空手はできるが倒されて相手に打たれたのでは、あまりに腑甲斐ない。ここに逆手も知っておく必要ががあるという理由がある。

 武術を学んでいる者には、犬と猫との戦いが非常に参考になる。犬は身体が大きいのにまかせて、口から突進し一気にかみつくわけだけれども、それでも猫が前足を上げて、二、三回攻撃をかけるとうまくいかない。犬は、四つ足をしっかり地につけて力強く、猫は、後足に重心をかけながら自由に身体を移動させる。
 顔だけ前に出して突進する犬のようでは人間は失敗する。猫のように、前の手がきかないと相手の攻撃に備えることはできない。私達の手が猫の前足だと思えばよい。

 サイがものすごい勢いで突進してきた。もちろん、そのままで衝突すれば大体の物はくだけるか、そのツノで刺されてしまう。
 しかし小鳥はどうであろうか。サイの猛進には気をとめるわけでもなく、サイの角に触れる瞬間にほんのちょっと飛び上がり、サイの頭に乗ってしまう。その身のこなしの速くて柔らかいことには目を見張る。
 技というのも、そのようなものが理想だと思ってもらいたい。あっと驚くような技もあろうが、自然で何でもない動きの中に偉大さがある。

 いつだったか、私(引用者注:佐藤先生)が留守をするので妻(先生の次女)に、用心のために小木刀でも枕もとにおいておいた方がよいと言ってでかけた。
 夕方、先生から気をつけなさいという電話がかかってきたそうであるが。妻は「大丈夫、木刀を置いているから」と返事をしたとたん――
「馬鹿者! だから素人は困る。強盗は相手をおどすために包丁などを持って入る。木でできた木刀などみせれば、異常者だけに余計に勢い込むだけである。
 金があるなら全部やるか、すぐ逃げる方がましである。しかし、最近の強盗は金を取った後殺すかもしれない。子供もいることだし、金を出すのも逃げるのも限度があるとなれば方法はただ一つしかない。
 それは、出刃包丁よりも長い、刺身包丁を持って寝ることだ」

4795250650挙聖 澤井健一先生
佐藤 嘉道
気天舎 1998-04