『心に響く言の葉』佐藤嘉道

 『挙聖 沢井健一先生』(紹介記事)の著者でもある佐藤嘉道先生の本です。佐藤先生の出会った様々な方やその言葉を紹介したもので、いわゆる武道書や技術書ではありません。ただ、澤井先生をはじめ、何人かの武道家が紹介されていて、含蓄に富む言葉を語られています。
 武道家で紹介されているのは、澤井健一先生、大山倍達先生、福田久一郎先生(武徳館館長)、黒田市太郎先生(警視庁剣道師範)、大竹利典先生(天真正伝香取神道流神武館館長)、中村忠先生(誠道塾会長)、カレンバッハ先生、王樹金先生、王福来先生、大野操一郎先生(国士舘大学教授・剣道範士九段)、小澤武先生(剣道範士・水戸東武館四代館長)、岡部知剛先生(中国武芸精進会知剛塾会長)です。
 しかし一読して振り返ってみると、個人的に心に残ったのは、むしろ武人ではない方のお言葉でした。
 以下は小林昇先生(経済学者)の『帰還兵の散歩』からの孫引きです。

わたくしは一兵卒として軍隊の組織の中に組み込まれ、いわば奴隷としての生活を二年ほどしたのですが、そのころ年齢はもう三十に近く、結婚もしていましたから、自分の乏しい知性を働かせて軍隊という機構が人間性に与える影響を観察するだけの余裕はありました。そうしてその観察の結果がこころのなかでだんだん深く刻印されてゆくにつれて、人間というものは例外なしに権力を得ることによって堕落し非人間的になるということを、信じないわけにはいかなくなりました。

 もう一つ、理学博士で登山家の西堀栄三郎先生の言葉も印象深いです。

 柔道の話も出てきた。学生時代、先生は柔道部に所属していた。
「体を鍛えるために柔道をするのだから、相手を投げることは念頭に置かない。むしろ投げられる方に重点を置くというものでした。投げられることにより多く受身をとる。そのたびごとに体は鍛えられ、倒される瞬間にはたらく動物的な神経と安全な形を体得できる。さらにきれいに投げられる方法も稽古の中に取り入れる決心をしました。きれいに投げられると相手も喜び、自分もうれしいものです。これが私の柔道です」
 格技をする者の大半は強くなりたい、勝ちたいという気持でいるのだが、先生の考え方はそこを通り越し、人生の中に柔道をどう位置づけるかを追求するものであった。
(・・・)
「先生は投げられてくやしいという感情はなかったですか?」
「一回もありません。わたしは体が小さく、細いので最初からそういうことは考えていませんでしたから」と即座に答えられた。

 凄まじい達観です。
 狭い意味としての武道・格闘技としては弱いわけですが、ある意味それを超えて「負けるが勝ち」になっています。実際、先生は柔道を通じて間違いなく「勝ち」をとれたのでしょう。
 こんな風に武道と関わっていくのも、人生全体を考えれば、十分ありなのではないかと思います。武道・格闘技だけが社会から独立しているわけでもなく、競技や狭い武術の世界で強者でも、自分に肯定的になれなかったり、惨めな気持ちを背負ったまま人生を生きる人もいます。まして今の世の中、ちょっと武道が強かったからといって、世の中的には何の足しになるものでもありません。
 狭い世界に没頭することで得られるものもありますが、同時に大局に立ち、人生の中での武道を考えないといけない、と思いました。

4434083821心に響く言の葉
佐藤 嘉道
気天舎 2006-09