『本当のナンバ 常歩』木寺英史

 これは素晴らしい一冊でした。最近、すっかりこの常歩にハマっています。木寺先生は素晴らしいです。
 まず第一章の「『なんば』についての誤解」で、今までナンバとして語られてきているもの、その起源などがひと通り紹介された後、これらの論に対して反論がなされます。これが、わたし自身も前々より感じてきた疑問と一致するもので、拍手喝采を送りたくなりました。非常に頭がスッキリして、この時点で木寺先生の鋭さと素直な心にすっかり感心してしまいました。
 具体的には、昔の日本人は音楽に乗せて行進することができず練習した、つまり現在のような歩法が出来なかった、という話がありますが、この問題は単に西洋の音楽に合わせることができなかっただけで、当時の日本人が「行進」のような一斉行動をとっていた例が沢山あることが示されています。その他にも、現在しばしばナンバとして紹介されている、左右半身を繰り返す歩法がまったく不合理であることが語られています。この変なロボットのような動きを「ナンバ」だという自称達人のような人がいますが、ずっと釈然としていなかったので、実に腑に落ちてスッキリしました。
 とにかく、この手の「文化的過剰拡大解釈」「こじつけ」に対し、ことごとく冷静な目でツッコミが入れられており、大変素晴らしいです。
 さて、実際の常歩ですが、歩くより走る方が簡単だと言います。実際、わたしもやってみましたが、確かにトコトコゆっくり走るのが一番簡単です。
 通常の中心軸走法(歩法)では、前に出る足(浮いている方の足)と同じ側の骨盤が前に出て、ウェストがねじれ、反対側の手が前に出ます。
 しかし常歩では、上体はダランとリラックスしており、前に出る足と反対側の骨盤がやや前に出る形になります。足と同じ側の手が前に出はしますが、これは結果であり、それ程重要ではありません。前に出るといっても、捻るわけではないので、膝から下がピョコンとあがるような感じです。また、通常と同じように足と反対の方向の手を上げる形でも常歩歩行が可能です。
 ここで非常に重要なのが、前に出す足の股関節を少し外旋位にして出すことです。このコツを示しただけでも、木寺先生の業績は凄いものです。骨盤の方向を意識して動くのは難しいですが、股関節のポジションは比較的操作できます。
 後ろ足は絶対に蹴ることはせず、身体を支えるだけで、つま先ではなくむしろ踵で地面を押す感じです。そして足裏全体がパッと地面から離れます。実際には物理的には踵から先に離れているのかもしれませんが、感覚的にはパッと全体が離れています。
 条件としては、上体が緩んでいることと、股関節がよく動くことです。ただ、わたしでもできた位なので、特別に股関節が動く訳でなくても、一応の形だけは常歩で歩くことはできます。
 木寺先生は元々剣道の専門家なので、後半には剣道における常歩の応用が示されています。これがまた参考になります。
 歩み足で打ち込む時、中心軸歩法では左足が出る時に振り上げられ、右足と共に振り下ろされますが、常歩では逆になります。逆突きで追い突きするような感じです。
 実際にやってみると、「常歩って要するに這じゃないのか」と思い、色々繋がりました。常歩では別にジグザグに動くことはないですが、身体の使い方の原理は一緒です。というより、這のような武術的歩法を分かりやすく現代的に説明しているのが常歩理論でしょう。
 上体の緩め方の見本として立禅が紹介されているので、木寺先生も意識はしているのかもしれません。ただ、立禅が「空手の稽古」として示されているので、太気拳や意拳についてどれほどご存知なのかは分かりません。
 ちなみに、常歩の語源考察の中で、田下駄の一種の名称が元になっている可能性が示されているのですが、これは這の要諦の「田んぼの中を這うように」とピッタリ符合し、非常に興味深いです。
 ただ、立ち方の例として示されているもので、ずっとよく分からないでいるのが、確かに「正しい」方が良いことは分かるのですが、それがより「骨盤前傾」であるのか、今ひとつピンと来ていません。「間違っている」方が反り腰で前傾しているように見えるのですが、これは腰は反っていて骨盤は後傾した上体なのでしょうか。服装のせいもあるでしょうが、わたしのセンスがなさすぎて今ひとつ身体の状態がよく分かりません。
 それから、これはわたしが考えたことなのですが、ウェスト部分を広い帯やコルセットなどで締め付けると、上体を捻ることができず、嫌でも常歩的歩法になります。特にウォーキング的な大きな動きや、中心軸走法によって走るのは無理です。つまり、常歩的歩法には服装も多少関与していたのではないか、と考えています。

4789920895本当のナンバ 常歩(なみあし) (剣道日本)
木寺 英史
スキージャーナル 2004-02