骨法ですよ、骨法。
90年代から2000年代初頭を経験した武道・格闘技ファンなら思い出深いことでしょう。
結果的にアレな結果になってしまい、それまで煽りまくっていた某誌からも掌打ならぬ手のひら返しを喰らい、ネット上でも叩かれるか笑いものにされるばかりの骨法ですが、一時期は輝いていました。
わたしもこの『ザ・喧嘩学』以外に、『喧嘩芸骨法』、『必殺 骨法の極意』、『「骨法」の秘密―ホネを直せば万病治る』も持っていました。引越しの時に処分してしまいましたが、最後の(ちょっと怪しげな)整体本はともかく、前の二冊はとっておけばよかったと思っています。というのも、読み物として非常に面白いからです。
堀辺氏のコロコロ変わる技術論、アレな政治思想、アレな経歴、アレなファッションについては、多くの皆様と同様の思いがありますが、少なくとも話が面白いのは間違いないです。ゴーストライターが書いているのかもしれませんが、この人はマンガの原作でもやった方が大成したんじゃないでしょうか。
技術的にはパクリのつぎはぎとも言われていますが、『喧嘩芸骨法』『必殺 骨法の極意』にあった詠春拳っぽい感じの時の骨法(黒いピチピチ時期の骨法)は、なかなか魅力的でした。アッサリ総合志向に転向せずに、あの形で煮詰めていったら、それはそれで面白いものが出来たと思うのですが・・。道着を着て「三角の構え」とか言い出した辺りから、ヤバイ匂いが漂い出していましたよね・・。
ちなみに、この黒いピチピチ期の骨法のビデオを知人の空手家が持っていて、一緒に見たことがあるのですが、このビデオにほんのちょっとだけ堀辺氏が動いているところが映っています。それを見る限り、彼の経歴・技術論の正否は別として、少なくとも一定以上の実力者であることは確かだと思われます。知人空手家も「本物」だと言っていました。もちろん、他の武道の超一流の人と戦って簡単に勝てるという意味ではないですし、別に達人でもないかもしれませんが、どこぞの怪しげな伝統系や中国系のオッチャンのように、素人のパンチ一発に沈むようなインチキではないと思います。
それはともかく、この『ザ・喧嘩学』は、技術本ではなく、堀辺氏の喧嘩歴伝と喧嘩思想が綴られた一冊です。この喧嘩話がどこまで本当なのかは知りませんが、読ませる内容なのは確かです。
わたしはこの本の中で、山本常朝の『葉隠』が引用されている箇所が好きです。常朝は、赤穂浪士の討ち入りについて、こう批判しているというのです。
赤穂浪士の仇討ちは、吉良殿の首を討ったあと、すぐに腹を切らなかったことが大きな傷である。しかも、仇討ちまでの期間が長過ぎる。もし、その間に吉良殿が亡くなったらどうするのか。
これはなかなかぶっ飛んでいて魅力的な台詞です。赤穂浪士討ち入りに対して、常朝が称揚しているのが、その二年前に起こった「長崎喧嘩」という事件です。
これは、長崎近くの深堀という場所で、鍋島家の深堀屋敷に勤める武士二名と高木家の商人がすれ違い、その際商人に泥水がかかったことから始まる一連の事件です。
商人惣内が武士の志波原武右衛門と深堀三右衛門を口汚く罵ったため、この二人は惣内をボコボコにしてしまいます。
これに起こった商人高木家側が、十人で深堀屋敷に押し寄せ、大乱闘の末二人を袋叩きにし、刀まで奪ったといいます。
武士の面目を潰された二人は、三右衛門の十六歳の息子と武右衛門の家来と、合計四人で四里(約16キロ)の道を駆け抜け、高木家に駆けつけたというのです。16キロダッシュで殺しに行くというのは尋常ではありません。
更に武右衛門側八人も到着し、朝になって門が開くと同時に切り込み、当主以下皆殺しにした上、二人はそのまま切腹して果てたそうです。
物凄いスピード感です。
泥が撥ねたの撥ねないのといったしょうもないキッカケに始まり、一昼夜のうちに仕返し合戦と16キロダッシュ、一族郎党皆殺しの上切腹、という、ありえないような超展開です。映画にしたら面白いのではないでしょうか。
とにかく、常朝はこの長崎喧嘩を喧嘩の見本として挙げているそうで、堀辺氏もこれを武士道として称えています。
正直、ちょっとついていけないとは思いますが、真の武士道がシグルイというか、ある種の狂気であるというのは、魅力を感じない訳ではありません。まぁ、わたしは見てるだけでお腹一杯なので、武士じゃなくていいですけれど・・。
という訳で、某誌にさんざん持ち上げられた挙句はしごを外されて捨てられてしまった堀辺氏ですが、色々と才能に富むところのある方だと思うので、また何かやらかしてくれたら面白いなぁ、と、無責任に遠くの安全なところから眺めている次第であります。
ザ・喧嘩学 堀辺 正史 ベースボール・マガジン社 1989-11 |